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横浜南キリスト教会の日常をご紹介します。
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オープンサンデー(5月第5主日)礼拝が行われました。 2015.5.31
●久しぶりの更新です。
●新年度総会にあたり、野口牧師によって今年度主題聖句の説教メッセージがありました。
「主は道を備えてくださる」 詩編37編23〜40節
今年度主題聖句は「主は人の一歩一歩を定め/御旨にかなう道を備えてくださる」(詩編37編23節)ですが、この箇所は新共同訳と口語訳を比較してみると、その訳の違いに驚きます。口語訳では「人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。」です。また各種英語訳聖書に現れているニュアンスも日本語のものとは違います。日本語訳の違いはヘブライ語原典の言葉をどのように受け止めるか、選択するかということで現れていると言えます。
日本語訳のどちらが良いのか、正しいのかと言うことを論じるよりも、私たちはこのみ言葉が語る神様の私たちに注ぎ込まれる愛を感じ取りたいと思うのです。日本語訳双方の良いとこ取りになってしまいますが、神様は私たちをいつも注目していて下さり、歩む道をその御力を持って整え、神様の民にふさわしい、神様に喜んでいただける歩みができるようにお守りくださるのです。

●礼拝後、2015年度(第30回)教会総会が開催され、慎重な審議の上、議案すべてが原案どおり可決されました。また出席者、陪席者から貴重な意見をいただきました。
●総会直後に、臨時ヤコブ会(役員会)が開催され、新役員を含めた役割分担が行われました。


ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝が行われました。 2015.5.24
●久しぶりの更新です。
●新年度総会にあたり、野口牧師によって今年度主題聖句の説教メッセージがありました。
「主は道を備えてくださる」 詩編37編23〜40節
今年度主題聖句は「主は人の一歩一歩を定め/御旨にかなう道を備えてくださる」(詩編37編23節)ですが、この箇所は新共同訳と口語訳を比較してみると、その訳の違いに驚きます。口語訳では「人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。」です。また各種英語訳聖書に現れているニュアンスも日本語のものとは違います。日本語訳の違いはヘブライ語原典の言葉をどのように受け止めるか、選択するかということで現れていると言えます。
日本語訳のどちらが良いのか、正しいのかと言うことを論じるよりも、私たちはこのみ言葉が語る神様の私たちに注ぎ込まれる愛を感じ取りたいと思うのです。日本語訳双方の良いとこ取りになってしまいますが、神様は私たちをいつも注目していて下さり、歩む道をその御力を持って整え、神様の民にふさわしい、神様に喜んでいただける歩みができるようにお守りくださるのです。

●礼拝後、2015年度(第30回)教会総会が開催され、慎重な審議の上、議案すべてが原案どおり可決されました。また出席者、陪席者から貴重な意見をいただきました。
●総会直後に、臨時ヤコブ会(役員会)が開催され、新役員を含めた役割分担が行われました。


4月第4主日礼拝が行われました。 2015.4.26
●久しぶりの更新です。
●新年度総会にあたり、野口牧師によって今年度主題聖句の説教メッセージがありました。
「主は道を備えてくださる」 詩編37編23〜40節
今年度主題聖句は「主は人の一歩一歩を定め/御旨にかなう道を備えてくださる」(詩編37編23節)ですが、この箇所は新共同訳と口語訳を比較してみると、その訳の違いに驚きます。口語訳では「人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。」です。また各種英語訳聖書に現れているニュアンスも日本語のものとは違います。日本語訳の違いはヘブライ語原典の言葉をどのように受け止めるか、選択するかということで現れていると言えます。
日本語訳のどちらが良いのか、正しいのかと言うことを論じるよりも、私たちはこのみ言葉が語る神様の私たちに注ぎ込まれる愛を感じ取りたいと思うのです。日本語訳双方の良いとこ取りになってしまいますが、神様は私たちをいつも注目していて下さり、歩む道をその御力を持って整え、神様の民にふさわしい、神様に喜んでいただける歩みができるようにお守りくださるのです。

●礼拝後、2015年度(第30回)教会総会が開催され、慎重な審議の上、議案すべてが原案どおり可決されました。また出席者、陪席者から貴重な意見をいただきました。
●総会直後に、臨時ヤコブ会(役員会)が開催され、新役員を含めた役割分担が行われました。


4月第1主日礼拝(イースター)が行われました。 2015.4.5
●久しぶりの更新です。
●野口牧師によるメッセージがありました。
「あなたは信じるか」 ルカによる福音書24章1〜12節
イエスの復活を「信じられるか」ということが問われているわけではありません。そのようなことはこれまで人間が経験してきたこと、蓄積した知恵や知識を基礎に判断することです。しかし神のみ業は人知を越えるものです。 今日的な表現を使えば私たちは「パラダイムシフト」に直面したのです。復活を「信じる」ということは、理解可能な枠の中にいることから跳躍する決断であり、人知を越えたものを受け入れる行為です。そしてそれはイエス・キリストにおいて表された神の愛に根ざして生きることへの切望によって起きるのです。
●今日はCSとの合同礼拝でした
●今日の礼拝では、昨日CSの生徒、先生方が作られたイースターエッグをみんなで分かちあいました。
●CS精勤賞の授与式が行われました。今年は4名の方に渡されます。


12月第2主日礼拝(待降節第2主日)が行われました。 2013.12.8
●久しぶりの更新です。
●野口牧師によるメッセージがありました。
「今、大切にしたいもの。」 ガラテヤの信徒への手紙 51314節、619
待降節に行う私たちの備えは特別なことをするのではなく、日常を信仰にふさわしく整えるということです。


1月第4主日礼拝が行われました。 2013.1.27
●今日は信徒(S.Aさん)の証しによって礼拝を守りました。

●寒い毎日が続いていますが、皆様お元気ですか?
床暖房は、あったかくってお絵かきにピッタリ!






 
1月第3主日礼拝が行われました。 2013.1.20
●野口牧師によるメッセージがありました。
「敬愛しあう群れ」 コリントの信徒への手紙12章12〜26節
 一人の著者によって書かれた聖書でも、時代の変遷によって内容が微妙に変化するように、教会も信仰者という人の群れである以上、その在り方が揺れ動く危うさを持っています。主イエスが常に誉め称えられ、主の体なる教会となるにはどうしたらよいのか、パウロは今日の箇所でそれを述べています。私たちはそれぞれ、必要に応じて神がおかれた部分です。何ができるかできないかではなく、信仰者として存在していることが大切なのです。そして互いの存在を認め、互いに配慮し合い敬愛しあう群れこそが信仰的に豊かな教会なのです。

1月第2主日礼拝が行われました。 2013.1.13
●森島牧人牧師(関東学院長)からメッセージをいただきました。
 「主は備えてくださる」 ル創世記 22章1〜14節
 神は試みによって人を追い詰めるのではなく、人を新しい道への出会いへと導かれます。アブラハムは神から与えられた独り子イサクを神に献げるという試みに出会います。彼にできたのは、ただ従うこと。そして神が示された場所を、目をこらしてじっと見つめ続けることで、人の目には見えない神の摂理を見出そうとするのです。彼は視線の先に犠牲の雄羊を見出しました。私たちにとってそれは、主イエス・キリストです。独り子を献げて下さった神の苦悩と愛を、私たちは見るのです。ヘブル語で「備える」は「見る」ことです。「主は備えてくださる」つまり、「主は私たちを見ていて下さる。」アブラハムは主の山で、本当の神を発見したのです。主の山とは礼拝の場所、すなわち教会です。私たちは礼拝において神から備えられた道を歩み、そしてまた、礼拝の場に戻ってくるのです。

●クリスマスの飾りを片付けました。
 クリスマスシーズンも先週で終わり、今日は教会の内外の飾りをみんなで協力して片付けました。今回、キャンドルは寝かせて引き出しに収納。今年のクリスマスにはどんな姿で再会できるでしょうか?(11/25の記事をごらんください)





新年礼拝が行われました。 2013.1.6
●野口牧師によるメッセージがありました。
「神の愛はあなたのために」 ルカによる福音書 2章22〜35節
 1月6日は赤ちゃんのイエス様の元に東方の博士が到着した日、すなわちユダヤ人以外の「異邦人」に公に姿を現された日として「公現日」と名付けられています。今日の聖書箇所では、ヨセフとマリアがイエスを連れて行った神殿でシメオンに出会いました。彼はメシアに出会うまで決して死なないと言われていましたが、幼子イエスに出会い、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます」と神を称えたのです。しかも彼はその救いが「万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光」であると断言しました。イエスはユダヤ人として「公現」されましたが、その生涯は最初から、私たち「異邦人」のための神の愛に包まれていたのです。


今年最後の礼拝が行われました。 2012.12.30
●野口牧師によるメッセージがありました。
「イエスという名前」 ルカによる福音書 2章21節、 1章31〜33節
 1月1日はマリアの赤ちゃんに「イエス」という名前が付けられた日とされています。「イエス」という名前は、当時ではごく一般的な名前でした。しかしその名前には「主は救う」という意味があります。しかもそれは、イエスが生まれる前に天使がマリアに命じて付けた名前なのです。ありきたりでありながら、これ以外に無い、最もその子にふさわしい名前。それが「イエス」でした。私たちは主の名を呼ぶ度に、「主は救われる」と信仰告白をしているのです。


クリスマスの諸集会が行われました。 2012.12.23〜24
クリスマス礼拝・祝会 23日(日)
 教会学校と合同の礼拝でした。こどもたちによる賛美や聖書朗読、聖歌隊の賛美「あらのの果てに」、トーンチャイムクワイヤーによる「きよしこの夜」の演奏もありました。午後は手作りのごちそうをいただきながら、ゲームやプレゼント交換など、とても楽しく過ごしました。

説教:野口成行牧師
「さあ、一緒に行こう」 ルカによる福音書 2章1〜20節
 羊飼いは律法に定められたとおりの信仰生活が守れないことから、宗教指導者たちからは「貧しいもの=神から遠い存在」と見なされていました。しかし、そんな彼らの所に天使たちがやってきて、救い主の誕生が一番最初に告げられたのです。貧しい者も富む者も、考え方や習慣が違う者も、互いに受け入れ「さあ、一緒に行こう」と声を掛け合って成長していくことこそが、主イエスの体として生きる私たちのあり方です。

キャロリング 23日(日) 16:00
 教会を午後4時に出発し、まず京急弘明寺駅で30分ほど賛美歌を歌いました。立ち止まって聴いて下さる方や拍手をして下さる方もいて、とても励まされました。その後のパークタウンでは、今年は復活したクリスマスの電飾ステージでの緊張の賛美となりました。続いて教会周辺の信徒の家庭では、近隣の方々も集まって、ご一緒に賛美することが出来ました。最後に教会の前で歌い、きびしい寒さの中、熱く心が燃えたキャロリングが終わりました。

こどもクリスマス会 24日(月) 13:00
 小さな礼拝のあと、ゲームや工作(紙で作る素敵な星の飾り)で楽しくすごしていると〜、今年もサンタさんがプレゼントを持ってきてくれました!




イヴ礼拝・キャンドルサーヴィス 24日(月) 17:00
 ろうそくの光の中でみ言葉を聴き、たくさんの賛美歌を歌って礼拝を献げました。
皆様の上にも、クリスマスの恵みが豊かに注がれますように!


アドヴェント第2主日礼拝が行われました。 2012.12.9
2本のキャンドルに灯が点りました。
 「主を待ち望むアドヴェント」の賛美歌に合わせて、毎週子ども達が点火します。

●礼拝説教は野口成行牧師でした。
 「変わりなく生きる」 テモテへの手紙二 4章1〜8節
 テモテへの手紙は、初期キリスト教会の在り方が示されているのですが、それは今も、教会に集う者みなに向けて語られています。私達は絶えず流れ変化していく社会に身を置いていますが、それに流されることなく、信仰者として変わりなく生きる者でありたいと思います。そのために、この手紙の著者は福音信仰という確かなものの上に立つようにと命じています。アドヴェントは主イエスの誕生に備える時であると共に、信仰者としての自らの在り方を考える大切な時でもあるのです。


アドヴェント第1主日礼拝が行われました。 2012.12.2
1本目のキャンドルに灯が点りました。
(やっぱり微妙に曲がっています。)

●礼拝説教は野口成行牧師でした。
「来るべき方」 ルカによる福音書 7章18節〜35節
 アドヴェントの期間、私たちが「待つ」のはどんな救い主なのでしょうか? バプテスマのヨハネは、自分が期待していた「来るべき方=裁き主」と、「この人こそ」と思っていたイエス様がどうも違うように感じ、獄中から弟子達を遣わして「来るべき方はあなたですか」と質問をさせます。それに対してイエス様は、神により頼むしか生きるすべの無い人たちが福音を告げ知らされている現実を告げるのです。人はみな、自分に都合の良い「救い主」を期待し、ヨハネも例外ではありませんでした。しかし神は人の思いを越えて救う方です。弱く貧しい本当の自分を受け容れてくださるのは神のみです。アドヴェントは神と出会う恵みの時なのです。


11月第4主日礼拝が行われました。 2012.11.25
●信徒T.Mさんがエフェソの信徒への手紙5章17節から証しをしました。

●来週からクリスマスを迎えるための準備期間「アドヴェント(待降節)」に入ります。
それに先立ち、23・24両日に教会の外側を飾るライトを取り付けました。
今年も次週から“力作”が輝く予定です。夜、お近くを通られる方は是非ご覧下さい。

夕暮れに光る教会

試験点灯しました。
夜になれば、きっともっと美しいはずです!
アスパラガス?

アドヴェントキャンドル
です。

去年買ったものを立ててみたら、なぜかビミョ〜に曲がっています。
猛暑のせい?


11月第3主日礼拝が行われました。 2012.11.18
●礼拝説教は野口成行牧師でした。

「新たにされて生きる」 コリントの信徒への手紙二 4章16節〜5章10節
 私たちは失敗したり心身の衰えを実感して、落ちこんだり生きる意味を失ったりすることがあります。でも、聖書によれば、それは私たちの「外なる人」であって、本当に大切なのは「内なる人」なのです。私たちの内なる人は信仰によって日々新たにされていきます。 「信仰」には「来るべき命」を重視するゆえに、現実の生き方を否定してしまう一面があります。しかし、ここで聖書が語っているのは、神は日々新たにされているはずの私たちが今どのように生きているか、それを来るべき時に問うのだということです。それは即ち、神が私たちに今どのように生きることを願っていると、私たち自身が受け止めているかという問いでもあります。日々神の語りかけを聴き、新たにされて歩んでゆきましょう。


11月第2主日礼拝が行われました。 2012.11.11
●礼拝説教は野口成行牧師でした。

「それでも大丈夫」 コリントの信徒への手紙二 4章1〜15節
 「土の器」とは日常的に使われ、痛みや欠けのある器です。私たちは厳しい現実社会の中、その器のように傷つき弱くなっています。しかし神様は福音という宝をりっぱな器ではなく、あえてこの貧しい器に入れて下さいました。私たちの内にはイエス様という光が輝いているのです。だから大丈夫。そしてその光は、私たち自身が心豊かに生きるためだけではなく、その光をまだ知らない人に伝えるために、私たちが神さまから委ねられている宝でもあるのです。


幼児祝福式が行われました。
 日本の伝統行事である「七五三」にあわせる形で、教会でも子ども達の健やかな成長を願う式を行いました。この日は5才の男の子2名とその兄弟。礼拝後、子ども達が皆さんの前に出て、いっしょに賛美歌を歌い、牧師が子ども達一人一人の頭に手を置いて祈ります。子ども達はうれしさと緊張が入り交じり、テンションマックス! 大人達はそのあまりのかわいさに笑顔笑顔・・ 一同感謝して、心から子ども達のために祈りました。


11月第1主日礼拝が行われました。 2012.11.4
●礼拝説教は野口成行牧師でした。

「イエスとわたし」 ルカによる福音書 9章7〜9節、18〜20節
領主ヘロデの“イエスとは何者か”という問いへ、周囲にいたであろう学識者も、群衆と同じ答え、すなわち“誰だかわからない”としか答えを出せませんでした。それは、その問いが“信仰的な領域”であるからです。イエス様が「それではあなたがたはわたしを何者だと言うのか」と言われたのに対し、ペトロが“代表して”「神からのメシアです」と答えました。しかし、これは最終的に“あなたはイエス様をどういう存在だと思いますか”と、一人一人に対してたずねられている質問です。教会は、イエス様と出会う場所です。“わたしにとってのイエス様”に出会えたら、どんなにすばらしいことでしょう。“自分にとって、イエス様とはどういう方なのか”を、しっかりと受け止めていただきたいです。
(KENTA)

●愛餐会メニューは「おでん」! もう冬ですね〜。
皆さま、風邪などに気をつけて今週も元気におすごしください。



特別伝道集会(オープンサンデー)が行われました。 2012.10.28
日本バプテスト神学校長で潮来教会の牧師でもある小野慈美牧師をお招きしてメッセージをいただきました。午後は持ち寄りのごちそうで先生を囲んでの愛餐会でした。

「あなたの代わりはいません」 小野慈美牧師  ルカによる福音書5章1〜7節
 
有名な「見失った羊のたとえ」でイエス様が本当に言いたかったのは、神様が私たちのことをどのように考えていらっしゃるかということです。99匹の羊を置き去りにして迷子の1匹を探すことは、人間的には非常識な行為と思われます。しかし神様にとって私たちは100分の1の存在ではなく、一人一人が代わる者のない、かけがいのない存在だからこそ、見失われれば必死になって探し求めるのです。私たちはこの世の価値とは全く次元の違う、神の国の価値で支えられています。イエス様の十字架は、神様が本当に私たちを愛してすべてを捧げて下さった、その象徴なのです。


10月第3主日礼拝が行われました。 2012.10.21
●10月第2主日は「神学校を覚える日」として、日本バプテスト神学校で学んでいる渡邊圭太郎神学生による説教でした。第3主日の説教者は神学校の教務主任である渡邊さゆり牧師でした。
 
「因果応報の逆転」 渡邊さゆり牧師 
出エジプト記5章20〜23節  ヨハネによる福音書8章2〜11節
 朝早く、神殿の真ん中に、律法によれば殺されるしかない女が立っています。そこにイエス様がおられます。そして、女の手当てを始められました。女が立たされ、イエス様が地面に指で書いておられる時間、それは「人間の本性が明らかになった時間」です。“石を投げるのは誰か”という問いかけに“あなたはどうするのか”と答える時間を与えて下さったのです。救われるに値しないものが、因果応報の逆転勝利を受けるために、主イエスはご自身を十字架につけ、“あなたが行きなさい”とおっしゃったのです。
(KENTA)

●続く第4主日の説教者は、神学校校長で潮来教会の牧師でもある
小野慈美牧師です。この日は当教会のオープンサンデー(特別伝道集会)です。ぜひご参加ください。


永眠者記念礼拝が行われました。 2012.9.16
●先に召された10名の教会員と関係者を覚えて献げる永眠者記念礼拝でした。

「希望・闇から光へ」  野口成行牧師  エフェソの信徒への手紙 5章6〜20節
 先に信仰に生き、召された人たちは、私たちの生活や信仰の基盤を作り上げています。「実際にどの様に生きたのか」をです。心の闇の部分が、闇の世界へ引きずり込もうとする時に、信仰や思いが“人間として受け入れられない”と連れ戻してくれる、これが「光の子として生きる」ということです。様々な思いがあった中で“私はこうして生きていく”という決断をして歩んでこられた、その繰り返しが私たちに伝えられているのです。信仰は、大切な“形見”です。それを私たちは引き継ぎたいのです。そうすれば、神様は、今いる私たちを見て、大切な「個人」として見て下さいます。神様は必ず光を与えて下さいます。闇の方へ歩んでいても、主がかたわらにいて下さいます。 (KENTA)


9月第2主日礼拝が行われました。 2012.9.9
●礼拝説教は野口成行牧師。愛餐会ではキノコカレーと梨をおいしくいただきました。
画像が無いのが残念ですが、秋の恵みをありがとう!

「神は正しさを求められる」  ローマの信徒への手紙 2章1〜16節
 神様の裁きの前においては、クリスチャンであるかないかではなく、その人が「正しい生き方をしてきたか」が問われます。神様は、私たちが正しく生きることを望んでおられます。思慮深く、慎み深く、お互いに尊敬の念を持ち、いたわりの心を持って、軽々しい口をきかずに、相手の心を重んじて生きていくことから、初めて神様が求める正しさは生まれてきます。 「私は過ちもおかしましたが、信仰者として一生懸命生きてきました」と、神様の前で言いたいです。
(KENTA)


バーベキューを楽しみました。 2012.8.26
8月最後の日曜日、高橋彰牧師の説教による礼拝を献げ、お昼は毎年恒例のバーベキューでした。

●高橋先生は当教会出身で、現在神戸の西岡本教会の牧師をされています。
メッセージの内容をKENTAさんがまとめてくださいました。
「神の知恵がうちにあり」 
列王記上3章1〜28節 、コリントの信徒への手紙一1章30節
 
ソロモンは「聞きわける知恵」を神様に求めました。“その子が生きるなら、それでいい”と言った方が「真の母親」である、という裁きをしました。ソロモンの知恵は「本当にこの子の母となって育てていく使命を持っている人は誰か」を見極める知恵でした。
 イエス様は「神の知恵」そのものです。「この人たちを殺さないでほしい、生かしてほしい」という十字架の裁きが、私たちを生かしました。そのイエス様の声と歩みの中に、私たちが聞かなければならない神様の知恵・神様の御言葉があります。このイエス様をこそ「主なる方」と呼ぶのです。そして「この人たちを殺さないでほしい、生かしてほしい」という叫びの中で、私たちが互いに呼びかけあい、支えあい、生きることが、すなわち「神の知恵に生きること」です。

猛暑の中のバーベキュー! 
みんなで汗をかきながら、おいしくいただきました。これで残暑も乗り切れる!?


焼くのは教会の玄関前。
道行く人の注目度抜群!


テントの中はこんな感じ。
熱中症が心配・・・


中へ運びます。
どんどん焼けるよ!


いっただっきま〜す。
う、うまい!

さんま。真っ黒?
いいえ、これが良い加減で。

締めは焼きそば。
お腹いっぱいだ〜!



水曜集会に参加しませんか。 2012.6.13
●日曜日は無理でも、平日水曜日の昼間なら教会へいらっしゃれる方もおられるかもしれません。
私たちの教会では毎週水曜日午前10時から会堂の掃除を行い、11時から聖書の学びをおこなっています。どちらか一方だけの参加でもOKです。

 「聖書の学び」と言っても、決して難しい研究会ではなく、「日々の聖句・LOSUNGEN2012」という本を用いて、その日の聖書箇所をいっしょに読み、感じたことを分かち合ったり、わからないことを共に考えたりしています。
聖書や教会に興味はあるけれど「いきなり礼拝はどうも・・」という方でも、気軽にご参加いただけると思います。

参加者の何よりの楽しみは、毎週とってもおいしい手作りのケーキや食事がいただけること!本日(6月13日)のデザートはルバーブのタルトでした。おいしかった〜
来週はあなたもぜひご一緒に!


ペンテコステ主日礼拝が行われました。 2012.5.27
●本日はペンテコステ(聖霊降日)の礼拝を「オープンサンデー」とし、広く皆さんをお招きする礼拝として献げました。(もちろん、いつでも皆さんをお招きしていることに変わりありませんが)
礼拝の中で信仰告白・バプテスマ式が行われました。

 「信仰告白」とは、文字通り自分の信仰を告白することによって、クリスチャンとして生きていく決意を表明するものです。教会員一同がその告白を聞き、その人を自分たちの家族として受け容れる決議をした後、バプテスマ式が行われます。この式は一般的には「洗礼」として知られていますが、私たちバプテストの教会では、全身を水に浸す「バプテスマ」(浸礼)を大切にしています。
 
写真は1階にあるバプテストリー。(普段は床の一部になっています。)中の水が見えますか? 黒いガウン姿が牧師。白いガウンを着ているのがバプテスマ受領者です。この中で牧師が彼をザブンと水に沈め、引き上げます。この時、彼は古い自分から新しい自分へ、新しい生き方へと変えられたのです。
教会員一同、感謝をもって恵みを分かち合ったひとときでした。

「ペンテコステ(ラテン語:Pentecostes)」とは?
 イエスの復活・昇天後、集まって祈っていた使徒たちの上に、神から聖霊が降ったという出来事を記念する祝日で、「聖霊降臨祭」「五旬節」とも言います。聖書(使徒言行録2章)には、炎のような舌が使徒たちの上にとどまり、彼らは聖霊に満たされ、それぞれ異なる言語を話したと書かれています。教会にとってこの出来事は伝道の始まり、つまりペンテコステは「教会」が始まった大切な記念の日なのです。

4月第3主日礼拝が行われました。 2012.4.15
●本日はゲストとして引退牧師の海老坪眞先生をお招きし、ローマの信徒への手紙10章14〜18節から「私のアルファとオメガは聖書」と題して説教をしていただきました。
・・・中学生の時「テキスト」として出会った聖書は、今や心の「糧」であり、自らを映す「鏡」であり、守っていただく「剣」でもあります。私の始まりと、終わりは聖書なのです。

4月第2主日イースター礼拝が行われました。 2012.4.8
●本日は主イエスのよみがえりを祝う「イースター礼拝」でした。
礼拝の中で、教会学校の「精勤賞」表彰も行われました。
野口牧師による説教は、ルカによる福音書23章56b〜24章12節から「復活の知らせ」
聖歌隊の賛美「み墓深く」もすばらしいものでした。
土曜日に作ったかわいいイースターエッグを持ち帰りました。

4月第1主日(受難週)礼拝が行われました。 2012.4.1
●本日は「受難週」の礼拝であると共に、2012年度から新しく当教会の牧師に就任された野口成行牧師の就任礼拝でした。
野口牧師の説教の前に、就任セレモニー(祈りと教会からの挨拶、そして歓迎の握手)が行われました。
説教はルカによる福音書22章54〜62節から「イエスの眼差し」
礼拝後、信徒一人一人が歓迎の握手を行い、愛餐会ではおいしく楽しくにぎやかに感謝の時をもちました。

3月第4主日(レント第4)礼拝が行われました。 2012.3.25
●本日は今年度で退任される矢野伸雄牧師・矢野清美牧師への感謝礼拝でした。
伸雄牧師がコリントの信徒への手紙一15章1〜10節から「今あるは神の恵み」と題した説教をされました。礼拝後、感謝のお祈りをし、お二人に記念品と花束を贈呈。みんなで「生ける限り主を」の歌を歌い、通路の両側に立ち、拍手と握手でお二人を階下までお送りしました。感謝愛餐会では皆さんが腕をふるったごちそうがならび、楽しいひとときをすごしました。

3月第3主日(レント第4)礼拝が行われました。 2012.3.18
●本日は佐藤洋晴牧師(日本バプテスト横浜教会協力牧師・関東学院中高宗教主任)が使徒言行録3章1〜10節から「主イエスの名によって」と題したメッセージをされました。
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 長く体が不自由で物のように扱われていた男を、ペテロとヨハネはじっと見つめ、彼も目線を合わせます。その人に目を注ぎ何が大切かを見極めることは、主イエスが大切にしてきたこととして、ルカによる福音書から使徒言行録に受け継がれています。「イエス・キリストの名によって」癒された男は神を誉め称える者としてペトロたちと行動を共にします。肉体を伴うイエスに出会うことはできなくても、私たちは「主イエスの名によって」集う共同体として共に歩んで行くのです。

3月第2主日(レント第3)礼拝が行われました。 2012.3.11
●本日は信徒のA.Sさんが創世記6章13〜22節から「私たちにできること」と題した証しをされました。今日3月11日は東日本大震災からちょうど1年目。A.Sさんは証しの中でこの1年を振り返り、箱舟から大地へ降りたノアや動物たちのように、希望に向かって歩むために、私たちに何ができるのか問い続けていきたいと話されました。


3月第1主日(レント第2)礼拝が行われました。 2012.3.4
●本日は野口成行牧師(運河キリスト教会)がマルコによる福音書2章23〜28節から「安息の日」と題したメッセージをされました。
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「6日間働き7日めに休む」という安息日は、旧約聖書の「十戒」に基づく神からの大切な教えですが、いつしかその真の意味は失われ、「安息」ではなく「安息日を守ること」が第一とされていきました。イエスが安息日に麦の穂を摘んだことは、ユダヤ教の規定からは死罪に価する行為でした。しかし、イエスはそうまでしても、神が望まれているのは、人がこの日に真の安息を得ることであり、神に立ち返り、新たな1週間の力を得ることなのだと私たちに教えてくださったのです。

●礼拝後、2012年度の主題聖句を全員で選出しました。
「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」 コリントの信徒への手紙一 15章10節

2月第4主日(レント第1)礼拝が行われました。 2012.2.26
●先週の水曜日(22日)からレント(四旬節)に入り、イエスの受難を覚える期間になりました。
本日は加納政弘牧師(関東学院教会)がマルコによる福音書10章42〜45節から「他者に仕える使命」と題したメッセージをされました。
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弟子たちは、イエスが語られる十字架の死と復活を理解できないばかりか、イエスがこの世の支配者として君臨した時の自分たちの栄達を夢見ていました。本当に偉くなりたいのなら「仕える者になりなさい」、「すべての人の僕になりなさい」というイエスの言葉にどんなにか驚いたことでしょう。イエスは十字架にかかる前に弟子たちの足を洗い、その見本を示されました。仕える者となることは主イエスの大切な遺言です。

2月第3主日礼拝が行われました。 2012.2.19
まだまだ寒さは厳しく、外のスミレたちは大変ですが、おかげで先週の水仙(in ハイボール)も、クリスマスからのシクラメンもまだ元気に咲いています。このところ教会では、幼子たちの元気な声が響き、その笑顔はみんなの心を暖かくしてくれています。感謝!
●礼拝では信徒のY.Hさんがヘブライ人の手紙12章1節から証しをされました。

2月第2主日礼拝が行われました。 2012.2.12
春の訪れが待ち遠しい寒さの毎日ですが、昼間は床暖房だけで充分な暖かさでした。
●礼拝では信徒のE.Sさんがヨハネの手紙一 3章11〜18節から証しをされました。

●写真は信徒のYさん宅のお庭からお持ちいただいた八重咲きの水仙です。
日本スイセン協会ホームページによると、「デュエット4W-00Y 1980」という品種のようです。 「花瓶」もいいでしょう? (^o^)


2月第1主日礼拝が行われました。 2012.2.5
●本日はバプテストデーの礼拝です。

野口成行牧師(運河キリスト教会)がマタイによる福音書4章1〜11節から
唯一、主のみ」と題したメッセージをされました。
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 イエスがバプテスマを受け、天から「神の子」である宣言を受けた後、荒野で出会う誘惑。空腹を自らの能力で満たすことは、神により頼まない生き方であると同時に、人として生きることの拒絶。神の子であることを試す行為は、神の宣言を疑うこと。全世界の支配を望むことは、神に示された十字架への歩みを放棄すること。「退け、サタン」イエスは唯一、神にのみ仕え、私たちの救い主として生きることを宣言し、伝道生活へと向かって進まれるのです。

1月第5主日礼拝が行われました。 2012.1.29
藤本定己伝道師(大師新生教会)がルカによる福音書12章13〜34節から、「心を広げれば豊かになる」と題したメッセージをされました。
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 大豊作を迎えた「金持」が神の恵みを忘れて“私の”富を倉庫にしまい込むことにしたその夜、彼の命は取り上げられる・・・。私たちは世の富に執着して神から離れてしまう弱さを持つ、土の器にすぎません。しかし神の国に心を向けて神とつながる時、私たちの心は広がって、そこに神の恵みが豊かに注がれるのです。
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●藤本師は2010年度に当教会で神学生として教会実習をされた先生です。
現在は川崎大師にほど近い大師新生教会で伝道師として、働かれています。

1月第4主日礼拝が行われました。 2012.1.22
●信徒のS.Bさんが箴言(しんげん)3章5〜12節から「証し」をされました。     「証し」とは?

厳しい寒さが続いていますが、南教会には「床暖房」という強い味方があります。部屋が暖まるまでに時間がかかる難点がありますが、S.Bさんは毎週 朝一番にそのスイッチを入れてくださいます。
暖かい礼拝堂で、足元も 心も ポカポカ。そしてお昼はスパイシーなカレーで、おなかもポカポカ!

1月第3主日礼拝が行われました。 2012.1.15
●信徒のK.Eさんがマタイによる福音書6章19〜21節から「証し」をされました。

●東日本大震災の被災地支援の一つとして、「合同会社 顔晴れ塩釜」の「藻塩」を中心とした食品の取り扱いを始めました。


1月第2主日礼拝が行われました。 2012.1.8
●信徒K.Kさんがイザヤ書40章3〜5節から「イランカラプテー」と題した「証し」をされました。
 「イランカラプテー」とはアイヌの言葉で「こんにちは」。「あなたの心にそっと触れさせてください」という意味があるのだそうです。

クリスマスの飾り付けをはずしました。
教会の暦では1月6日の「公現日」まではクリスマスでした。

新年礼拝が行われました。 2012.1.1
●礼拝をもって新しい年がスタートしました。

野口成行牧師(運河キリスト教会)がルカによる福音書2章21節から、「その名はイエス」と題したメッセージをされました。


クリスマス礼拝が行われました。 2011.12.25

クリスマス礼拝には80名を超える方々が参加され、礼拝堂に入りきれませんでした。
矢野伸雄牧師がマタイによる福音書1章21〜23節と28章20節から「神われらと共にいます」と題したメッセージをされました。
【今週のことば】から
イエス様が生まれて下さったのは、いつも私たちと共にいて下さるためです。私たちが生まれたのは「私たちも神様と共にいるため」です。このことを感謝して、主に向かって喜びの叫びをあげようではありませんか!

●ゲストとしてお招きしたゴスペルクワイヤーの国友よしひろ&ザ・ファミリー」の皆さんが“Joy to the world”他3曲を歌ってくださいました。
●礼拝後の祝会では、手作りのお料理をいただきながら、ゲームや体操、賛美、プレゼント交換などでとても楽しくすごしました。



こどもクリスマス会とキャロリングが行われました。 2011.12.23(金・祝日)
●午後1時からのこどもクリスマス会には20名が参加し、礼拝の後、ガムテープを用いたクリスマスバッグ作りとゲームなどで楽しくすごし、おやつをいただきました。サンタさんもちゃんとやって来て、プレゼントを届けてくれましたよ。


●夕方4時から総勢20名でキャロリングに出発。京急弘明寺駅→パークタウン→信徒宅2カ所を回ってクリスマスの賛美歌をたくさん歌いました。
すご〜〜く寒い夜でしたが、心は熱く燃えていました!